浜松文芸館ではじまった、ノンフィクション入門講座、第一回。6月5日の午後でした。
via ishii.typepad.jp
ノンフィクション入門講座 1回 終了
~痣は語る~
痣は口ほどにものを言う。そう思い、私は講座の間、石井氏の顔右半分の痣を凝視しながら、話を聴いていた。なぜなら、石井氏の発言、発想の根底には、“顔に痣がある男”という確かな個性があり、それがエネルギーの源となっているように感じたからだ。そのエネルギーは、氏の執筆活動における(執筆活動だけでなく、生活全般かもしれないが)瞬発力、粘着力、屹立した独自性、「必要」から生じる他人にはない着想、そのようなものを生んでいると思う。講座中、氏は、「バカなんで…」と繰り返し、受講生の笑いを誘ったが、それは自らの「無鉄砲さ」という、ある意味では、ノンフィクション作家にとって必須で、しかも稀有な資質を謙遜する表れではなかったかと思う。
私は、講座の終わりには、氏の痣が見えなくなっていた。もちろん、物理的には確かに存在するのだが……。次の講座のときは、氏の左側の顔が見えやすい席に座り、やはり顔を凝視しようと思う。話を聴くうちに、今度は痣をどのような存在として感じることができるだろうか。見えない「痣」が見えてくるだろうか。今から楽しみである。
石井さん(以下敬称略)の顔には痣がある。彼はその顔と一緒に生きている。僕は感じる。僕の回りにいる多くの人たちから、彼らが活きている感触が掴めない。たぶん僕もそうだ。常套句と慣用句で誤魔化せる関係で、社会や組織や家庭とべたべたに結びついている。それでいてそれを簡単に批評する。もし、石井に痣がなければあなたはどんなコメントを寄せるのだろう。痣で石井をみないでその書いた作品から、つまり自己表出されるものから、人間を見ることが必要ではないのだろうか。僕がこのプログラムを作ったのは、石井が表出する作品で、つまり石井の読者を増やしたかったからだ。例えば盲人を盲人ということから接していないか。そこに一人の人間がいることを認識する前に。
「婚活」なんて言葉を流行らせる奴、載せられる人たち。巨大なマスメディアに操られることでしかでしか自分の事が見えないのだろうか?「就活」があるのなら、人間は「死活」しかできないのではないだろうか?
sinagawazaruへの意見ではない。見方の方法だ。勉強する必要は感じる。
投稿情報: Harukikenn | 2010/06/28 21:37