久しぶりに、銀色夏生さんの詩集を読んでいます。
そのなかで、こんな詩がありました。ちょっと紹介。
「すみわたる夜空のような」
何かがだんだんあいまいに死んでいくようなつきあいより
すみわたる夜空のような孤独を
これを読んだとき、しんとして、なぜかとても穏やかな心もちになりました。
人は、ともすれば「孤独」を不幸と思いがちのような気がします。
しかし、本当は、どうでしょう。
「こどく」は「孤独」と書きますが、「孤独」の「孤」は「個」でもあるように思います。
「個」=「個人」が「独り」ということ。
「個」が「個人」として、しっかりと大地に立っている。宇宙に存在している。
そうしたとき、人は「孤独」で辛いかもしれないけれど、そこを踏みとどまってじっくり自分と向き合って、内面を観てみる。生きてきた歴史を観てみる。そうしてはじめて、自立した尊い「自分」に出会えるのではないでしょうか。
そして、その「孤独」を知っている人だけが、また、そういう人同士が寄り添ったときにはじめて、
人は、本当の「幸せ」に向かって生きられるのだと思います。
メディアは「孤独死」という言葉で、悲惨さを偽善的に強調しているように感じます。「無縁社会」(NHK)と呼んで。「孤独」であってなにが悪いんだ、一人で死んで何が悪いんだって思います。一人で亡くなった方に鞭打っているような気がします。
以前、立川談志師匠が講座で「俺が自殺するときは、ダイナマイトからだに巻きつけて、高座から客席に飛び込んでやるんだ」ってマクラで話していました。孤独ってそんなことかもしれません。
やたら群れたがる傾向があります。そういう方々は、個人を意識し楽しむ前に、群れたら何かがあるように錯覚しているのかもしれません。その方が楽ですから。傷を付け合わず、傷も舐めず、「そうだよね~」って訳知り顔で、作り笑いしてればいいのですから。これまでそんな多くの人を見てきて、これからも・・・・・みるのかな?
投稿情報: Harukikenn | 2010/09/13 22:04