一週間ほど前に、長妻厚生労働大臣が「自殺総合対策会議」で次のような推計を発表しました。
・うつ病による自殺や休業がなかった場合、労災補償給付が456億円減少
・うつ病による休業がなくなった場合、賃金所得が1094億円増加
・うつ病による失業がなくなった場合、求職者給付が187億円減少
・うつ病による生活保護費、医療費が6017億円減少
これらと、自殺によって失われた自殺者の所得などをあわせると、計2兆6782億円が国民経済にとってマイナスになったという内容でした。また、今後、自殺やうつ病がなくなった場合、2010年のGDPの引き上げ効果は約1兆7000億円に上るとの推計も公表しました。
なるほど、うつ病はもはや、国民経済を左右する重要な問題なんだなと思う一方、心の中に、もやもやしたものが残りました。
いったいなんのための数値化なのか?
わたしもうつ病患者です。なので、医療費の補助を受けています。うつ病は罹患すると完治するまでに時間がかかるし、定期的に精神科に通院し、何種類もの薬を服用するので、お金がかかります。わたし自身、毎年1回、役所に行って、医療費補助を受ける更新手続きをします。事実、この医療費補助に助けられています。それは裏を返せば、国の負担です。 また、仕事もできない状態なので、経済的損失の一部をしっかり担っているのです。
2008年に、英国で、精神疾患による経済的損失などを推計し、数値化したそうです。厚生労働省としては、この数値化にあたって「社会的なインパクトを与えることで(自殺・うつ病問題が)優先課題としての政府の認識が高まる」との思惑があったそうです。また、予算獲得のための「インパクト」を狙ったとの見方もあります。
しかし、当事者からしてみたら、自分は社会のお荷物だ、と烙印をおされたような気になってしまいます。患者当事者に配慮を欠いた、人間を労働力としてしかみていない、デリカシーのない行為であるように思えてなりません。
病気になってお金の計算をされ、死んでもなおお金の計算をされる。
それって、普通の感覚でしょうか?それとも、そう思うことは、わたしの甘えなのでしょうか?
このブログを何度か読んで、「数値化」と検証方法(表現)が様々な分野で安易に使われているのではないだろうかと、考えています。300万部のベストセラーというのも似たようなもので、「300万部も売れている作家だし、なんとなくかっこいいし」で、まあファンになっておこうというような人もいるわけです。300万のうちしっかり読んでいるのは何%なんだろう?(僕も数値化に頼ろうとしています)と、言いたくもなります。
「数値化」というのは、怖いですね。勿論しっかり把握するものとして大切な検証方法だとは思いますが、議論を誘導するにはある数字を握っていると反論ができなくなるということでは危険だと感じます。
暫くすると、70歳以上の日本人はGDPを20%押し下げるというようなことも真面目な顔で論じるんじゃないでしょうか。
以降余談。昨日「寺山修司作品を読む会」を開催しました。体調が良ければ来て貰いたかったね。出演者の出来も良く。お客さんもアンコールの請求があったり楽しんでもらいました。寺山さんは僕にとっては真に先生ですね。春樹さんは先輩かな。ともに偉大な、100%の偉大な。元気で。体調GOODの時には出て来てください。
投稿情報: Harukikenn | 2010/09/20 23:49