郵政不正事件の検察のでっちあげには恐ろしさを感じます。
国家権力というシステムの恐さ。システムの中にいる人間の不確かさみたいなものも感じました。
しかし、今回の事件で一番気になったのは、無理やり被告にされてしまった村木厚子さん、その人のことでした。
無実が証明された会見での村木さんの表情は、まるで、メダルを期待されていたオリンピック選手がメダルをとれて、うれしさよりもほっとしたといったような静かな感じの表情にみえました。わたしは、「この人、好きだな」と思ってしまいました。
そこで『私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日』を読んでみました。
本の中では、検察の「ストーリー」がいかにして創られたか、ということが書かれていて、村木さん以外の重要人物が次々と、やってもいないこと、事実と違うことが書かれた調書にサインしていくのです。検察のやり方は実に巧妙で、お金のない人には「保釈金を安くするから」といったことをちらつかせたり、記憶があやふやな人には、「ほかのみんながそういっているのだからそうだよな」と誘導したりしています。
では、村木さんはなぜ「ストーリー」にのらなかったのでしょうか。検察はなぜ村木さんを「ストーリー」にのせることができなかったのでしょうか。
村木さんの印象的な言葉があります。
「私は、『検事さんにとって大した罪とは何ですか?』と聞きました。すると、国井検事は『殺人や傷害だ』と言った。私はこんな罪に問われるなら、恋に狂って殺人に問われたほうがよっぽどましです」
「こんな罪」とは「虚偽有印公文書作成・同行使」のことです。
この言葉に、村木さんが仕事にどんな姿で取り組んできたかということが見えた気がしました。プライドと言う言葉では生易しいもっともっと強い仕事に対する「愛情」を感じました。それは、働いてきた自分の歴史を裏切らない、いえ裏切れないという「強さ」です。
人の「強さ」とは、こんなにも静かに人のなかでその人を支えるものなのだな。日々のいとなみにどうむきあうかで、人は自分のなかに「強さ」を育てることができるのだなと、教えられました。
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