東京に行ってきました。目的は、8年前脳梗塞になって右手足に麻痺が残った父を病院に連れて行くためでした。脳梗塞で動かなくなった手足が再び動くようになる治療法が見つかったと聴き、父が望んでの一泊旅行です。
障害者と東京を歩くのは、想像していたよりずっとたいへんなことでした。父は、車椅子ではなく、足にコルセットをすればゆっくりゆっくりと歩けます。ちょうど長島監督のような感じです。しかし、階段に手すりがなくて壁伝いに歩いたり、歩道に自転車が止まっていて歩きづらかったり、人の波がどわっと押し寄せてきてよろけたり、スピードアップしたエスカレーターに足を踏み出しづらかったりと、付き添いの母と私は、父をガードしながら、危険を察知するアンテナの感度をビンビンによくしていなければなりません。
やっと山の手線の駅を降りて、ホテルへ向かおうと、タクシーを捜しました。すると、タクシー乗り場にピカピカに光った黒塗りのタクシーが待っていてくれました。
「ふくねこタクシー」
なんてラブリーな名前なの!!と思い、楽しくなりました。ツキノワグマのようなタクシーの運転手さんがドアを開けてくれ乗り込み、私はホテルの名前を告げました。すると、運転手さんは言いました。「そこのホテルにいく最短のルートを通ると、ホテルの向かいの歩道にお客さんたちを降ろさないといけないから、そうすると、お客さん、道路を渡らないといけなくなってしまうので・・・お客さん、足、お悪いみたいだから、ちょっと遠回りだけど、ホテルの前につけるから。メーターは途中から下ろしますね」
私たちにとっては、まさに「ふくねこ」でした。ちょっとした親切だけど、あったかい。
ほかにも、東京で、小さな親切にたくさん遭遇しました。電車で席を譲ってもらったり、道に迷っていたら雰囲気を察して声をかけてくれた紳士がいたり、家族でやっているお寿司屋さんの大将(77歳)の笑顔に元気をもらったり・・・。
しかし、浜松に戻り新浜松から赤電に乗ったのですが、最寄駅で降りようとしたとき、電車のドアの前にかたまって立ち、大きな荷物をドカドカと床に置いている若者たちに遭遇しました。ドアが開くと、降りる人たちが荷物をまたいで通っていきます。もし、父が乗っていたらどうでしょうか?彼らは荷物をどかしてくれたでしょうか?
私はかつて15年ほど東京と横浜に住んでいました。そのときは、人々の冷たさにずいぶん嫌な思いもしました。今回、たまたま、東京での出会いが恵まれていたのかもしれません。それとも、この出会いの差は世代の違いから起こるものでしょうか。街の違いから起こるものでしょうか。障害のあるなしから起こるものでしょうか。
いずれにしても、思うのです。
人が街を創ります。そして、街が人を創ります。 つまりは、人が人を創るのです。
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